霊園における使用規定は厳守するブログ:14-03-16
10年前、元気だった母親が倒れた。
脳出血だった。
命は助かったが、右手足は不自由な体質となった。
幸いな事に、
言葉、記憶などには不思議なほど支障がなかった。
助かってみると、
この事が母親自身の苦しみにもなり、
介護するわたくし達の苦しみにもなっていった。
「お前には分からん!」
わたくしにぶつかる母親は、わたくし以外にあたる人がいない。
二年前に父は他界していた。
1年の入院生活から退院する時、わたくしは心に決めた。
「よし、とことん母親とつき合って、
笑顔を取り戻すまでは、父のところに行かす訳にはいかん」と。
医師には無理だと反対されたが、
母親の家を改造し、
デイケアの施設にお風呂を入れてもらう約束をもらって、
母親の希望どおり自宅に帰った。
母親の願いはほとんどやってあげたが、笑顔は戻らない…
五年が過ぎた頃、施設でリハビリの先生に出会った。
「ちょっと簡単な手芸をしてみない?」
「いや!できない」
「できる所だけでも、まあしてごらん」
押し問答が何日かあった末に、
デイケアの日に、しぶしぶ左手を動かしてやってみたが、
母親の思うようにはいかなかったらしい。
でも、あの日の事は忘れられない。
デイケアの車から降りると…
「これ」と、
母親がバッグの中から出したのが、小さな花。
色紙を型の中に押しこんで紙絵にしていく手法のものだった。
「ウワー!できたじゃん」
わたくしは大げさに喜んでみせたが、母親はいつもの顔だった。
だけど、かすかにその中に笑いを見たような気がした。
それから、一作、二作、三作…作品が増えるにつれ、
少しづつ笑顔が出るようになった。
そして、心から
「ありがとう」の一言が
自然にクチをついて出るようになった。
この言葉を聞いた日、
わたくしの目が涙でかすんだのを今でも覚えている。