霊園における使用規定は厳守するブログ:14-08-13
ぼくの知っている祖母は、
痴呆症で、物忘れだけではなく、徘徊もした。
まるで赤ん坊のようだった。
介護に興味のあるぼくにとって、
祖母のお世話をするのは経験となった。
一緒にお金を数えてみたり、お手玉を作ったりした。
何も反応のない毎日ではあったが、
手を差し出すと祖母は、ぎゅっとぼくの手を握り返してくれた。
その手からはぬくもりも感じられた。
「おばあちゃんには、うちのお子さんたちがお世話になったのよ」
葬式に来てくれた親子連れたちが、口を揃えてそう言った。
ふと気づくと、葬式には、
今までに会ったこともない人たちがたくさん来て下さっていた。
祖母は有名人だったとでもいうのだろうか?
葬式の終わりに
祖母の思い出の写真が映し出された時、
ぼくは初めて祖母の偉大さを知った。
写真の祖母は、
ぼくの知っている祖母とはどことなく違い、
自信に満ち溢れていた。
まるでヒマワリのように背筋を伸ばし、
いきいきとしていた。
祖母のうでの中には、
生まれて間もない赤ん坊がいた。
優しくつつみ込み、お風呂にあげていた。
ぼくはまた涙がこぼれた。
助産婦をしていた頃の話をしてもらいたかったと
悔やんだりもした。
でもぼくはその写真を見て、
あんなに笑顔に満ち溢れ、
赤ん坊に接する祖母に憧れを抱いた。
祖母は、助産婦という仕事を苦には思っていなかったと思う。
たくさんのお子さんに出会い、お世話が出来て幸せだっただろう。
痴呆になったのも今思えば、
助産婦を辞めてからだったはずだ。
そんな祖母は、
ぼくたち孫や男の子の名前を忘れてばかりいたが
自分がお世話した赤ん坊の名前を言えば、
無口な祖母がその時だけはお喋りが止まらず、
語っていたのを覚えている。